三重 八鬼山越え(熊野古道)に挑戦しました

13回目の登山を検討するころには12月が近づいてきました。
自分の力量と装備では冬場の山はもちろん無理です。
ですからそろそろ今シーズンの登山もおしまいが近いのかなあと思っていました。

さて、以前大洞山に登った際に苔むした石畳の道を歩く機会があり、その雰囲気に魅了されてしまいました。

そうです。せっかく三重県にいるのならば、石畳といえば、「熊野古道」です。

ただし、お恥ずかしながら、熊野古道の事もほとんど知りませんでした。
おそらく「古道」というのだから、峠道のような険しいアップダウンもあれば、平坦な低地を行くルートもあるんだろうなあぐらいの事を思いながら情報収集を始めました。
いろいろ調べてゆくと、熊野古道とは単純に言ってしまうと

「熊野三山に向かう参詣道」とうことになります。

熊野三山とは、和歌山県の南西部三重県との県境付近に固まって鎮座されている「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの神宮を指します。

参詣道は、三重県側からの道もあれば、京都からの道、高野山からの道などいくつもあることは今回初めて知りました。

和歌山県のHPからの引用;

トップページ > 課・室一覧 > 広報課ホームページ > 和-nagomi- > vol.30 > [特集] 世界と和歌山が近づいた理由

こうやって見てみると、ほぼ周辺のすべての地域からの道が「熊野三山」に伸びていたことが分かります。

さて、もちろん自分は、この中で「伊勢路」のどこかに挑戦しようということになるのですが、これまた「伊勢路」だけでもあまりにも長く、どの区間をチョイスするべきか非常に迷いました。

世界遺産に登録されていることからも情報はたくさんありますが、自分が参照したものを掲載していきます。

  • 三重県地域連携部南部地域活性化局東紀州振興課作成のHP「熊野古道伊勢路

まずは、非常に画像がきれいです。伊勢路の各セクションが詳細に記載されているのでどの道・どの峠がどれぐらいの距離・時間や難易度(散策レベルとしてレベル分けされている)なのかがある程度分かります。しかも、そのセクションのコースマップや見どころがまとまったPDFもダウンロード可能です。

このHPのよると八鬼山越えは、距離10.1km、所要時間5時間、散策レベル★★★★(最高難度)となっていました。

以下、引用。

八鬼山越え(やきやまごえ);西国第一の難所といわれ、かつては山賊や狼が出没して巡礼者を苦しめました。八鬼山越えでは、いたるところで石仏に出会います。史跡も多く、絶景も望めますが、登り・下りともに厳しい道です。体力に自信のある方は、昔の巡礼者の気分を味わってみてください。

うん、なかなか手強そうです。が、挑戦し甲斐もあります。

ただし、日帰りで行くには少し厳しそうだと感じました。ので、今回は一泊(前泊)して登山に臨むことにしました。

登山前日は、八鬼山のある尾鷲周辺から熊野三山のいくつかにお参りして、翌日八鬼山に挑戦することにしました。

前日のおまけ観光記は、また次回以降に記すとして今回は「八鬼山越え」でいきます。

三重 八鬼山 所在地概略図

熊野古道センターに車を停め、向井の登山口から八鬼山山頂へ向かい、下りは江戸道を用います。JR三木里駅から、JR大曽根浦駅に戻って、徒歩で駐車場に戻る予定を立てました。

いざ、八鬼山(やきやま) 越えへ

朝食を宿で摂って、車に乗り込みます。尾鷲市の熊野古道センターに車を停めました。

熊野古道センターは、熊野古道が世界遺産に登録されて数年後の平成19年に設置された「熊野の魅力を案内する施設」とのことです。ヒノキ造りの重厚な外観です。

この日の朝は寒かったです。朝8時頃に行動開始となりました。

三重 熊野古道センター 敷地案内

↑;りっぱな施設です。今回はゆっくり鑑賞できませんでした。車を停めて登山口へ向かいます。

三重 八鬼山 向井登山口 氷結

↑;この日はとても寒く、民家の軒先の瓶の水も凍りが張っていました。

三重 八鬼山 向井登山口への看板

↑;標識通りに進みます。遠くに石油のタンクが見えます。どうやら近くの中部電力の火力発電所のための施設のようです。

三重 八鬼山 向井登山口付近の石油タンク

↑;巨大なタンクを右手に見ながら緩く登っていきます。

三重 八鬼山 向井登山口付近駐車場

さらに進むと登山口付近の右手には駐車場もありました。今回は登りと下りが別ルートですが、同じルートで帰ってくるならこの駐車場が便利でしょう。トイレも完備。

三重 八鬼山 向井登山口 石碑

登山口に到着。石碑があります。↓;拡大したところ。

三重 八鬼山 向井登山口 石碑拡大

三重 八鬼山 向井登山口 標識

山頂まで、3830m 約130分とあります。

三重 八鬼山 向井登山口案内板

↑;登山口付近の案内板で再度ルートを確認。下りが二股に別れ(結局は合流しますが)ていることが良く分かります。

この日は寒かったのですが、このピリッとする寒さがむしろ心地よかったです。平日だったせいか自分以外の登山者の気配もありません。身がしまる思いです。

登山道入ると早速、石畳の道が現れます。

三重 八鬼山越え 熊野古道01

左側は山林ですが、まだ右側は開けています。

三重 八鬼山越え 熊野古道02

徐々に山の中へ入っていきます。

三重 八鬼山越え 朝日が昇る

↑;朝日が低く差し込んできます。ピリッと寒い中で光が木々の間に入り込み、神々しい感じでもあります。

三重 八鬼山 行き倒れ巡礼供養碑説明版

↑;昔は、この道中で命を落とした方も大勢いたようです。命がけの旅だったんだなあと。

三重 八鬼山 石畳道説明版

↑;なぜ石畳なのか・・・に関しての説明です。尾鷲が日本有数の多雨地帯であることと関連するようです。

三重 八鬼山 町石説明版

↑;伊勢の 朝熊ヶ岳でも一丁毎に町石がありましたが、ここでは 町石=地蔵尊 ということのようです。

三重 八鬼山 籠立場説明版

↑;このような、歴史的由来を解説してくれる説明版も充実しています。

三重 八鬼山 清順上人供養碑説明版三重 八鬼山 清順上人供養碑

↑;伊勢と紀州の深いつながりをうかがわせます。歴史を感じさせるエピソードが満載です。

三重 八鬼山 道中のお地蔵様

↑;こんな感じで、お地蔵様がいたると所で見守ってくれています。

三重 八鬼山 七曲り 標識

しばらく進むと、このルートの一番の難所といわれる「七曲り」に。ただし、距離はそんなにもありません。先が見えていると何とかなりそうです。

三重 八鬼山 七曲り案内板

↑;「聞きしに勝る難場なり、・・・誠に難渋する山坂なり。」と。

三重 八鬼山 七曲り

↑;分かりにくいかもしれませんが、たしかに結構な急坂です。

三重 八鬼山 七曲りを登り切った後

↑;どうやら七曲りはクリアしたようです。そこからもう少し行くと、桜茶屋一里塚に至ります。

三重 八鬼山 桜茶屋一里塚

傾斜は緩みますが、先はまだあります。

道中、大きな岩とその解説がありました。烏帽子岩と蓮華岩というそうです。↓。

三重 八鬼山 蓮華石と烏帽子岩

三重 八鬼山 蓮華石と烏帽子岩の解説

こういう掲示板があると、自動的に一休み出来てありがたいです。これを読んでいるうちに上がった息を整えます。

続いて見えてきたのは、「荒神堂」です。↓。

三重 八鬼山 荒神堂を眺める

登って近づくとこんな感じです。案内・解説板があります。

三重 八鬼山 荒神堂

お堂の中には、「石像三宝荒神立像」なる像が建立されているようですが、ごらんのとおり中は見えません。

三重 八鬼山 荒神堂 朽ちかけている

かなり、屋根や壁も傷んでいる様子でした。

このお堂の正面には、土台(基礎)だけが残った「荒神茶屋跡」があります。↓

三重 八鬼山 荒神茶屋跡

三重 八鬼山 荒神茶屋跡解説

この辺り一帯は少し開けていますが、すぐにまた登りが始まります。

道標によると、頂上まであと10分。もう少しのようです。↓

八鬼山 荒神堂付近道標

さらに進むと、看板があり、「江戸道」と「明治道」に分かれます。

明治道が生活道路として使われていたそうですが、近年「江戸道」が発掘?されて、こちらが世界遺産としては登録されているとのことです。↓。・・・江戸道のほうが安全と書いてあります。↓

三重 八鬼山 山頂付近 江戸道と明治道の分岐道標

少し進むと、再び昔の茶屋跡「三木峠茶屋跡」に到達。現在は、休憩できる東屋が設置されていました。↓

三重 八鬼山 三木峠茶屋跡解説

三重 八鬼山 三木峠茶屋跡東屋

付近には、再びお地蔵様。三体並んでおられます。ありがたや。

三重 八鬼山 山頂付近のお地蔵様たち

そこからすぐそばに、とうとう「八鬼山山頂」です。・・・が、ここからの展望はほとんどありません。やっと到達。

三重 八鬼山山頂 熊野古道

さらに少し進むと、急に開けた場所に出ます。↓

三重 八鬼山 山頂 健康とゆとりの森を眺める

三重 八鬼山 山頂 案内板

山頂展望広場といった感じですが、正式には「健康とよろちの森;桜の森広場」というみたいです。↑

三重 八鬼山 山頂 健康とゆとりの森 ベンチ

ベンチも多数設置されていて、太陽も暖かく気持ちいい場所です。

三重 八鬼山 山頂健康とゆとりの森の東屋

東屋と広場には誰もいませんでした。独り占めしての昼食をとることにしました。

以下、広場からの海の眺めです。↓直下には入り組んだ入り江の地形。

三重 八鬼山 山頂広場からの九鬼湾

拡大すると細長い入り江。九鬼湾。戦国時代の「九鬼水軍」の本拠地だったそうです。↓。

三重 八鬼山 山頂から見る九鬼湾拡大

三重 八鬼山 山頂広場から北の海岸線を眺める

北の海岸線を眺めるとこんな感じです。↑

さて、展望をゆっくりと堪能。電車の時間があるので余裕をもって早めに下山開始とすることにしました。
江戸道は傾斜がきついところもあると聞いていましたが、しばらくは、比較的緩やかな下りで危なっかしい箇所には、頑丈な手すりが設置されているところもあります。↓

三重八鬼山江戸道登山道

少し進むと、少し開けた場所に再び東屋と案内板がありました。ここにも、「十五郎茶屋」という茶屋があったそうです。昔の人々も、ここで一休みしたということですね。↓

三重八鬼山十五郎茶屋跡

三重八鬼山十五郎茶屋跡看板

快適にトントンと下っていけます。

三重八鬼山江戸道平坦な石畳

林の中をひたすら石畳の道が続きます。↑

三重八鬼山江戸道 苔むした木の橋

林を下っていきます。沢を小さな木製の橋で渡ります。↑

三重八鬼山江戸道終盤

沢を渡ると、登山道は終了。開けた道を進みます。(石畳は続きます。)三木里海岸まで1㎞弱の地点まで来ました。

三重 八鬼山 江戸道 JR踏切を超える

民家もある中、石垣の間を抜けてゆくと、踏切(遮断機なし)に至ります。穏やかな雰囲気です。

さらに進んでいくとついに海岸にまでたどり着きました。↓

三重 八鬼山 三木里海岸

三重 八鬼山 三木里海岸線

砂も海もとてもきれいです。夏は海水浴客でにぎわうのだろうなあと思いました。この海岸は、深い入り江の一番奥なので、波もほとんどなくとても穏やかです。

JR三木里駅に到着しました。いわゆる無人駅です。到着時には正に誰もいませんでしたが、登山者らしいご夫婦が後からやってきました。電車に乗って八鬼山をぐるっと反時計回りに回って元来た熊野古道センターへ帰ります。↓

三重 八鬼山 JR三木里駅

さて、自動券売機もなくどうやって乗車するのかと考えていると、ちゃんと案内表示がありました。↓

ワンマンJRの乗り方 三重八鬼山越え

バスの様な仕組みのようです。乗車できるドア(乗降口)は一か所と決まっています。そして、乗車したドア付近に整理券の発券機が設置されているようなので、それを取って、降車時に整理券とともに現金で乗車料金を支払う仕組みのようです。
未だかつて、経験したことがないのでやや不安かつわくわくしながら電車(というか、ディーゼル車ですね。)を待ちました。

三重 八鬼山 JR三木里駅内

電車(汽車)がやってきましたので、乗り込んで整理券を取りました。↓

ワンマンJRの乗り方 整理券を取る

八鬼山頂上から眺めた九鬼湾近くの九鬼駅を通過。目的の大曽根浦駅へ無事到着しました。運転手さんが、車掌さん役もこなし料金を回収していました。この地域も過疎化に悩んでいるのでしょうが、なんとものどかな光景ではありました。

さて、大曽根浦駅から歩いて熊野古道センターの駐車場に戻ってきました。熊野古道センターは外から眺めて一枚写真に収めましたが、木造(おそらくヒノキ)造りの立派な建物でした。

三重 熊野古道センター

近くの浴場「夢古道の湯」に向かいました。↓

三重 熊野古道 八鬼山越え 夢古道の湯

ここは、いわゆる温泉ではありませんが、尾鷲沖の熊野灘の深層深海水を用いた湯を楽しめます。屋内には大浴場があり、屋外には露天風呂(アルカリの湯と酸性の湯)がありました。
この日は、寒かったので登山で疲れて冷えた体にお湯が染み入るようでとても快適でリラックスできました。

熊野古道 八鬼山越え を終えて

「苔むした石畳の道」を歩いてみたいというところからスタートした今回の八鬼山越えですが、
一泊二日を懸けてやってきた甲斐がありました。

今回の八鬼山越えは10㎞程度の行程ですが、古道の総延長はこれの何倍・何十倍とあります。
昔の人々がこの道を築いて、維持してきたことにまず驚きます。
また多くの古代の日本人たちがこの道をたどって熊野へ参拝していたのだなあと感慨深いものです。参拝以外にも、庶民の生活道路でもあり、政治・信仰にも深く関係がある道なのだとわかりました。

黙々と石畳を歩き続けていると、また、違う考えも頭に浮かんできました。
下りの「江戸道」は、「明治道」が使われるようになってからは寂れてゆき、風化し埋もれていたものを平成に入ってから地元の方々の力で整備されたと聞きます。この方々のおかげで、今回自分はこの道を歩くことが出来ています。
石畳の「石」という固いと思われている物で舗装された道であっても、自然の中での風化という作用には抗うことはできないわけです。
いわば、自然に還っていく過程にあった道が発掘され「世界遺産」にまで登録されたこと。
喜ばしいことではありますが、何処かで「このまま静かにしておく」という選択肢もあったのではないかなどと自分の中でも矛盾する考えが湧いてきました。

とはいうものの、自分もこうやって自然に分け入っては、自然にインパクトを与えてしまっています。悩ましいところですが、自分も一つの自然の歯車であり、出来る限り自然に負荷のかからない生き方をしなければと思いました。

登山のスポーツとしての側面とは異なる、味わい深い「古道登山」をすることが出来ました。
伊勢路の他のルートももちろんのこと、伊勢路以外の熊野古道にも是非行ってみたいと感じました。

 

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